はやのじブロマガ

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高校の頃に旅先のホテルで深夜にシャイニングを見てしまった話

高校の頃、私はなぜか仙台に一人旅に出ていた。
理由はもうほとんど覚えていない。
観光地も、食べたものも、どこを歩いたのかさえ曖昧だ。
ただ一つだけ、やけに鮮明に焼き付いている夜がある。


ビジネスホテルの一室。時刻は深夜。
その夜、私は「ちょっとした楽しみ」を求めて有料チャンネルに課金した。


当時の私は高校生で、旅先という非日常も相まって、少し浮ついた気分だったのだと思う。
部屋は静かで、外の音もほとんど聞こえない。
誰にも邪魔されない空間。まさに自由そのものだった。


だが、その自由は思わぬ方向に転がる。


ワクワクしながらチャンネルを回しているうちに、
たまたま目に入ったのが映画「
シャイニング」だった。

タイトルは知っている。なんとなく有名なホラー映画、くらいの認識。
「まあ、ちょっと見てみるか」
軽い気持ちだった。完全に油断していた。


これがすべての始まりだった。


この映画、いわゆるびっくりさせる怖さではない。
音で驚かせるでもなく、急に何かが飛び出すでもない。
ただひたすらに、じわじわと、逃げ場のない不安が積み重なっていく。


気づけば私は画面から目を離せなくなっていた。


そしてふと気づいてしまう。
今、自分がいるのも「ホテル」だということに。

映画の舞台である
オーバールックホテルと、
自分のいる無機質なビジネスホテルの部屋が、妙に重なり始める。

廊下の静けさ。
隣の部屋の気配のなさ。
エレベーターの存在感。

普段なら何とも思わないはずの要素が、全部意味を持ってしまう。

深夜という時間帯も厄介だった。
外界との繋がりはほぼゼロ。
スマホなんか無くガラケー高額パケ代の時代、情報の逃げ場もない。

つまり私は、
「誰もいないホテルの一室で、孤立した状態のままホラー映画を見続ける」
という、かなり危険な状況に自ら入り込んでいた。


しかも最悪なのは、途中でやめるという選択肢を失っていたことだ。

怖いのに、やめられない。
やめたら余計に怖くなる気がする。
だから見続ける。
そしてさらに怖くなる。

完全にループに入っていた。

終盤に近づく頃には、もう映画を観ているというより、
「自分もあの空間に取り込まれている」ような感覚だった。


そして観終わった後。

電気を消すかどうか、本気で悩んだ。

普段なら一瞬で消して寝るはずのスイッチに、手が伸びない。
消した瞬間、何かが起きるのではないか。
そんな根拠のない想像が、やけにリアルに感じられる。

結局、その夜は電気をつけたまま毛布を被って震えながら眠りについた。

そして今、振り返ると奇妙なことに気づく。

あれだけ時間とお金を使ったはずの仙台旅行の記憶が、ほとんど残っていないのだ。
どこに行ったのか、何を見たのか、驚くほど思い出せない。

しかし、あの夜の時間だけは、やけに鮮明だ。

部屋の雰囲気、空気の重さ、妙な静けさ、
そしてじわじわと精神を侵食してくる恐怖。

あの体験だけが、切り取られたように残っている。

おそらく脳は、
「これは重要な体験だ」と判断したのだろう。

皮肉な話だが、あの夜の私は
ただ映画を観ていたわけではない。

スタンリー・キューブリックと言う天才が設計した恐怖を、
最も効果的に味わえる環境で、
しかも完全に無防備な状態で受け止めてしまった。

つまり——
最高の条件で、名作ホラーを踏み抜いてしまったのだ。

当時の私はただ震え上がっていただけだが、
今になって思う。

あれはたぶん、
なかなか再現できないレベルの贅沢な体験だったんだなと。