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藤井聡太ブームとヒカルの碁ブーム、その後を分けた決定的な差

将棋界と囲碁界、この二つの界隈には大きなブームと呼ばれる時期があった。

• 2000年代前半:ヒカルの碁ブーム
• 2017年以降:藤井聡太ブーム

どちらも一気に社会の注目を集め、「若者が盤面に向かう」という珍しい現象を作り出した。

しかし、このブームがもたらした結果は正反対だった。

• 将棋人口は増え、観る文化が定着し、産業として拡大
• 囲碁はブーム終了と共に初心者が離れ、人口減少へ逆戻り

なぜ、同じように盛り上がったのに、これほど差がついたのか?
この記事では、その理由をわかりやすく整理していく。

 

ブームの前に「土台」を作っていたか?

実は藤井聡太が登場するかなり前から、将棋界には助走があった。
この助走があったからこそ、藤井ブームという稲妻が輝く瞬間をモノにする事が出来た。

将棋界の積み重ね
• 電王戦で「人類vsAI」というドラマが誕生
• ニコニコ動画で観戦文化が爆誕
• 将棋めしや控室カメラで棋士に人間味が生まれる
• Abemaが無料中継を常態化

藤井聡太は、この巨大な基盤の舞台の上に現れた。
つまり、「藤井が凄かった」だけではなく、「受け皿も完璧だった」

一方の囲碁界には、ヒカルの碁という稲妻が輝いても、それを定着させるための基盤が不十分だった。

そして、ブームが去った頃には人も去って行ってしまった。

にわか層を受け入れたかどうか

結論から言えば、この一点が決定打だった。

将棋界
• にわか歓迎
• 初心者向け説明が豊富
• 無料配信で誰でも観戦可能
• スマホで即プレイできる

「軽い気持ちで見てもいい」 「分からなくても楽しんでいい」 という空気を徹底的に作った。

囲碁界
• 初心者向けの環境がほぼ不足
• 碁会所文化が常連中心
• 雑談がなく解説に面白みが無い

結果として、 にわかが入っても定着できず、離脱。 裾野が広がらなかった。
さらにヒカルの碁で囲碁に興味を持った人を、迷惑だと切り捨ててしまったコミュニティもあったようだ。

囲碁は貴族の打つ高貴なもの、そういった体質が当時はまだ根付いていたのかもしれない。

「観る楽しさ」を作れたか

将棋は解説付きライブ中継、コメントで盛り上がる、インタビューのダイジェストや切り抜きが拡散、棋士のキャラが可視化 観るだけで楽しい文化が成立した。

将棋は 「指せなくても楽しめるコンテンツ」 になったのだ。

将棋を指さなくても楽しめる「観る将」という文化が定着したのは、藤井登場以前の棋士たちの努力の賜物だと思う。

対して囲碁は配信が少なく、解説が難しく初心者が置いてけぼり、盛り上がれる場所が存在せず観客がいなければ、話題は生まれない。

囲碁だって将棋と同じくらいのポテンシャルを持つゲームなのに、その魅力を発信して普及する努力が、将棋に比べると明らかに劣っている。

「藤井聡太が羨ましい」囲碁界がそのように発言しているのを見た事がある。
しかし、藤井の登場で片付けるのはお門違いだろう。

成果が「社会の言語」に変換されたか

藤井聡太の実績は 、最年少記録 • 連勝 • タイトル数など誰でも理解できる形で伝えられた。
これらを藤井以前の大スターである羽生善治がにこやかに語る、一般層でも「とんでも無いことが起きている」と一目で理解でき、興味を持つ。

一方で囲碁の快挙、例えば一力遼の「27年ぶり世界制覇」「史上3人目の五冠」などは

• 何がどれだけ凄いのか
• 世界の基準がどうなのか

これらを全く一般層が理解する事が出来ず、空気のまま流れてしまった。
成果が言語化されないと、話題は生まれない。

囲碁界に風は吹いている

皮肉な事だが、今の囲碁界は「財政難」と言うワードで注目されている。

これを皮切りとして、囲碁界に異議を唱えるプロ棋士も登場し、SNSやニュースサイトで囲碁という文字を目にする機会も増えた。

形はどうあれ注目されているのだから、普及活動を行って囲碁の魅力を発信してほしいと思う。

囲碁の魅力は本来とてつもなく深い。
問題は、その魅力が十分に伝わっていないだけだ。

囲碁界がその問題に対応し、勝負の一手を放つことがこれからの囲碁界の命運を分ける。

ブームは熱量ではなく、設計で決まる

将棋界は「にわかが入りやすい入り口」と「定着するための導線」を設計した。

囲碁界は入り口も導線も用意する事が出来なかった。

だからこそ、結果が別れてしまったのだ。

にわかを笑う文化は衰退し、
にわかを歓迎する文化は発展する。

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