
将棋界と囲碁界、この二つの界隈には大きなブームと呼ばれる時期があった。
どちらも一気に社会の注目を集め、「若者が盤面に向かう」という珍しい現象を作り出した。
しかし、このブームがもたらした結果は正反対だった。
• 将棋人口は増え、観る文化が定着し、産業として拡大
• 囲碁はブーム終了と共に初心者が離れ、人口減少へ逆戻り
なぜ、同じように盛り上がったのに、これほど差がついたのか?
この記事では、その理由をわかりやすく整理していく。
実は藤井聡太が登場するかなり前から、将棋界には助走があった。
この助走があったからこそ、藤井ブームという稲妻が輝く瞬間をモノにする事が出来た。
• 電王戦で「人類vsAI」というドラマが誕生
• ニコニコ動画で観戦文化が爆誕
• 将棋めしや控室カメラで棋士に人間味が生まれる
• Abemaが無料中継を常態化
藤井聡太は、この巨大な基盤の舞台の上に現れた。
つまり、「藤井が凄かった」だけではなく、「受け皿も完璧だった」
一方の囲碁界には、ヒカルの碁という稲妻が輝いても、それを定着させるための基盤が不十分だった。
そして、ブームが去った頃には人も去って行ってしまった。
結論から言えば、この一点が決定打だった。
• にわか歓迎
• 初心者向け説明が豊富
• 無料配信で誰でも観戦可能
• スマホで即プレイできる
「軽い気持ちで見てもいい」 「分からなくても楽しんでいい」 という空気を徹底的に作った。
• 初心者向けの環境がほぼ不足
• 碁会所文化が常連中心
• 雑談がなく解説に面白みが無い
結果として、 にわかが入っても定着できず、離脱。 裾野が広がらなかった。
さらにヒカルの碁で囲碁に興味を持った人を、迷惑だと切り捨ててしまったコミュニティもあったようだ。
囲碁は貴族の打つ高貴なもの、そういった体質が当時はまだ根付いていたのかもしれない。
将棋は解説付きライブ中継、コメントで盛り上がる、インタビューのダイジェストや切り抜きが拡散、棋士のキャラが可視化 観るだけで楽しい文化が成立した。
将棋は 「指せなくても楽しめるコンテンツ」 になったのだ。
将棋を指さなくても楽しめる「観る将」という文化が定着したのは、藤井登場以前の棋士たちの努力の賜物だと思う。
対して囲碁は配信が少なく、解説が難しく初心者が置いてけぼり、盛り上がれる場所が存在せず観客がいなければ、話題は生まれない。
「藤井聡太が羨ましい」囲碁界がそのように発言しているのを見た事がある。
しかし、藤井の登場で片付けるのはお門違いだろう。
藤井聡太の実績は 、最年少記録 • 連勝 • タイトル数など誰でも理解できる形で伝えられた。
これらを藤井以前の大スターである羽生善治がにこやかに語る、一般層でも「とんでも無いことが起きている」と一目で理解でき、興味を持つ。
一方で囲碁の快挙、例えば一力遼の「27年ぶり世界制覇」「史上3人目の五冠」などは
これらを全く一般層が理解する事が出来ず、空気のまま流れてしまった。
成果が言語化されないと、話題は生まれない。
皮肉な事だが、今の囲碁界は「財政難」と言うワードで注目されている。
これを皮切りとして、囲碁界に異議を唱えるプロ棋士も登場し、SNSやニュースサイトで囲碁という文字を目にする機会も増えた。
形はどうあれ注目されているのだから、普及活動を行って囲碁の魅力を発信してほしいと思う。
囲碁界がその問題に対応し、勝負の一手を放つことがこれからの囲碁界の命運を分ける。
将棋界は「にわかが入りやすい入り口」と「定着するための導線」を設計した。
囲碁界は入り口も導線も用意する事が出来なかった。
だからこそ、結果が別れてしまったのだ。
にわかを笑う文化は衰退し、
にわかを歓迎する文化は発展する。