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将棋の級位者が陥りがちな「定跡書コレクター現象」について

将棋を真剣に学び始めた人が、最初にやりがちなことの一つに「定跡書を買い漁る」という不思議な現象があります。

書店に行けば、有名棋士による華やかな定跡シリーズが並んでおり、 どれも「これを読めば強くなれる」ような気がしてしまう。

実際、私も級位者の頃は同じように何冊も買い集めていました。

しかし今振り返ると、あの時期に読むべきだったのは定跡書ではなく、 詰将棋と手筋問題集でした。

定跡書コレクター現象とは

将棋を始めてまもない級位者の段階で、定跡書を何冊も買い集めること。

実戦でまだ使いこなせないのに、本を読むことで「勉強した気分」になってしまう状態です。

定跡書を読むこと自体は悪くありません。
問題は、理解できる段階に達していないのに、書いてあることだけを記憶しようとしてしまうことです。

結果として、勉強が読む作業で終わってしまい、苦労の割には棋力がほとんど伸びません

本は増えても棋力は伸びず…

真面目で勤勉な人ほど陥りやすい

「定跡書コレクター現象」って、将棋をやる人の真面目さと知的好奇心の副作用みたいなものなんですよね。

将棋って、勉強すればするほど強くなれる世界に見えるし、実際ある程度までは努力が確実に成果に繋がる。

だからこそ、勤勉な人ほど「知らない定跡がある=自分の弱点」と感じてしまうんです。

でも実際のところ、級位者のうちは「知ってるかどうか」よりも「見えるかどうか」「考えられるかどうか」が圧倒的に重要で、知識の厚みよりも基礎筋力がモノを言う段階なんですよね。

ただ、将棋を真面目にやろうとしている人ほど、知識不足を埋めようとする方向に努力が向いてしまう。

これが「定跡書コレクター現象」を生む背景です。

ある意味で、勤勉さの罠。
将棋をちゃんと勉強したいという善意が、そのまま知識偏重の落とし穴に変わってしまう。

でも、それでいいんです。
その定跡書たちは、いつか必ず「地獄のように読み込む時期」が来たときの宝の山になる。
だから、今コレクター状態の人も、ちゃんと報われます。 

逆にそれだけやる気があるから伸び代は抜群だと思うぞ

なぜ定跡書は「早すぎる」と無意味になるのか

将棋の定跡は、あくまで「地力を持った人のための体系」です。

級位者のうちは、読みの力・手筋の感覚・形勢判断などの地力がまだ不十分なので、定跡の意味を理解するのが困難です。

たとえば本に「この局面は先手指しやすい」と書かれていても、「なぜこれで指しやすく、どう指せば良いのか」が分からないまま丸暗記になってしまう。

しかも、少しでも相手が違う形にすると、途端に応用が効かなくなる。

結局、本の中では記憶出来ていても、盤上では弱いという状態になるのです。

真の基礎力をつけるには

級位者のうちは、定跡よりも以下の3つの勉強を優先する方が得られる経験値は多いです。

1. 詰将棋

 終盤力・読みの精度を鍛える

2. 手筋問題

 中盤の感覚や駒の働きを学ぶ

3. 自分が戦える駒組を決める

「相手が振り飛車なら右四間+エルモ囲いで早仕掛けっぽく攻めていく」程度でOK

この3つを繰り返すうちに、自然と棋力も上がっていきます。

そして二段くらいになると、ようやく定跡の意味が自分の頭で理解できるようになります。

定跡書を書く側も、本当はわかっている

定跡書を書くプロ棋士や高段者も、「級位者が読んでもなかなか理解できない」ことをよく知っています。

ただ、出版の現実としてそれを本に明記することはできません。
「まずは詰将棋をやりましょう」と書くと、本が売れなくなるからです。

だから、どうしても誰でも読める体裁を取らざるを得ない。

つまり、定跡書が悪いわけではなく、 読むタイミングを間違えることが問題なのです。

定跡書が武器になる瞬間

定跡書は、二段〜三段くらいで地力が整った頃に読むと、 まるで世界が変わったように理解できるようになります。

「ああ、この手にはこういう意図があったのか」と納得できる。

この段階で定跡を学ぶと将棋の精度が一気に上がり、中盤以降の戦い方にも自信が持てるようになります。

定跡書は理解できる力がついてから読むと棋力向上に役立ちます。

まとめ

定跡書は地力を支える道具であって、地力の代わりにはならない。

級位者のうちは、定跡を暗記するよりも、 詰将棋と手筋問題を繰り返す方が何倍も力になります。

……とはいえ、有段以上になったら、 嫌でもその定跡書を貪り読む地獄のような時間が始まります。ですから、どうかご安心ください。  

将棋の基礎筋力がついた上で定跡を学ぶと効果抜群だぞ!