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野原ひろし昼メシの流儀が「叩かれ漫画」から「愛され漫画」に変わった理由

 一時期はネットで「ワースト食漫画」などと揶揄されていた『野原ひろし 昼メシの流儀』

だが気づけば、単行本は10巻を超え、今ではアニメ化もされ、ニコニコ動画で30万再生を超え、Amazonプライムではアニメ部門ランキング1位を獲得するほどの人気作となった。

かつて批判の対象だった作品が、なぜここまで愛されるようになったのだろうか?

最初は「野原ひろしである必要がない」と叩かれた

連載当初、この作品はネット上で徹底的に叩かれた。

「顔芸が不気味」「うまい!を連呼するだけ」「ひろしでやる必要ある?」「自分のことを野原ひろしだと思い込んでいる精神異常者」など、数多くのツッコミが飛んだ。

特に印象的だったのが、野原ひろし殺し屋の流儀と言われ、ミーム化されたひろしの名言の数々だ。

「テーマパークに来たみたいだせ、テンション上がるな〜」
「ナポリタンにピラフ、こりゃまた懐かしな」

このあたりの名言?がコラ画像として、ネットミームとして爆発的に広がった。

当初は完全にネタ扱いだが、そこにこそ、この作品の転機があった。

作者が「一切ブレなかった」

作者・塚原洋一氏の姿勢が、作品の評価を静かに変えた。

SNS時代においては、炎上すれば弁解したり、逆ギレしたりするクリエイターも少なくない。
国民的アニメのスピンオフ漫画を描くのだから、プレッシャーや言いたい事もあるだろう。

しかし塚原氏はまったく違った。
批判されても、ネタにされても、一切動じずに漫画を描き続けた。

自己アピールもメンヘラ的発言もなく、黙々と「野原ひろしの昼飯」を描き続ける
そのプロ意識と、誰も傷つけない優しい世界感の漫画が、いつしか読者に誠実さとして伝わっていった。

やがて、読者の間でこう言われるようになる。
「笑ってたけど、いつの間にか応援もしてた。」

 

「本気で作品を作る」美学

アニメ化された『野原ひろし 昼メシの流儀』は、その真剣さがさらに加速した。

漫画特有のカオスなオープニング、声優の森川智之さんの本気の演技、ストレスなくサクッと楽しめる構成

全てが無駄に本気なのだ。
だがその本気さこそが、視聴者を惹きつけた。
ネタとして笑えるけど、馬鹿にできない。

この絶妙なバランスが、「ネタ漫画」から「愛される作品」への転換点になった。

ネット文化の成熟と共に愛された作品

『野原ひろし 昼メシの流儀』が評価された背景には、ネット文化の変化もある。

昔なら「ネタ=嘲笑」で終わっていたものが、今では「ネタ=愛の形」に変わってきた。

「真面目にバカをやる人」を笑いつつ称える。
その古くさい昭和の笑いのスタンスこそ、令和のネットユーザーが好む空気感だ。

この作品はまさに、その象徴となったと思う。

「ネタにされても真摯に描き続けた」ことが、最大の勝利

『野原ひろし 昼メシの流儀』がここまで来た理由は、決して偶然のバズではない。

叩かれても、笑われても、真摯に描き続けた作者と、それを見続けた読者。

両者の間に生まれた静かな信頼と安心感が、作品を「愛される存在」へと変えたのだ。

最初は笑っていた人も、今ではきっと思っているだろう。

当たり前のことだが「野原ひろし昼メシの流儀は、あの野原ひろしでないと成り立たない」と。