
実家の整理をしていたとき、押し入れの奥から中学時代に組んだ自作パソコンの残骸が出てきた。
ホコリまみれのケース、外れかけたフロントパネル、曲がった排熱ファンの跡
一目見た瞬間、懐かしさと共に当時の情景が鮮明に蘇った。
あれはまだ、中学生だった頃。 新品のパソコンは20万円近くして、とても手が出なかった。
バイトもしていないし、親にねだれる金額でもない。
けれど、どうしても自分専用のパソコンが欲しかった。
ネットもやりたいし、音楽も焼きたい。友達の間で流行っていたPCゲームにも参加したい。
そんな思いが強くなる一方で、選択肢は「自作」しかなかった。
「ジャンク品を集めれば、2〜3万で組めるらしい」
そんな噂を聞きつけ、松戸の実家から秋葉原まで自転車を漕いで通う日々が始まった。
片道2時間以上かけて、あの頃のジャンク通りを何度も何度も歩いた。
怪しい段ボール箱に詰め込まれたネットワークカードやメモリ、規格が合ってるか分からないマザーボードを見比べながら、
わずかなお小遣いとお年玉を握りしめて一つひとつ買い揃えた。
今じゃ信じられない話だが、そのパーツたちを組み上げて、
動いた瞬間の感動は今でもはっきり覚えている。
電源を入れたときの「ピッ」という音、BIOS画面が映ったときの高揚感、すべてが宝物だった。
買ったネットワークカードが壊れていたことがあった。
普通なら「ジャンクだから仕方ない」で済ませるところだと思う。
でも、当時の僕は納得できなかった。
真夏の炎天下の中、再び自転車にまたがり、また松戸から秋葉原へ。
汗だくで店に駆け込み、事情を話した。
「壊れてたんです。せっかく買ったのに…」
その熱意が伝わったのか、当時のお店の人は無言で別のカードと交換してくれた。
あのときの無骨なお兄さんの表情も、今でもよく覚えている。
おそらく、今ならそんな対応は期待できないし、交渉すらする気もないだろう。
あの頃だからこそ成立した、ある種の男のやりとりだった。
あれから長い月日が経ち、ふと思い立って久しぶりに秋葉原に足を運んだ。
景色はすっかり変わっていた。
煌びやかなビルが並び、外国人観光客が行き交い、すっかり観光地と化した今の秋葉原。
そして、かつて自分が魂を燃やしたジャンク通りは、もう無かった。
無くなったと話には聞いていたのに、何故だか心にぽっかり穴が空いたような感覚があった。
あの埃っぽくて、雑多で、だけど無限の可能性に満ちていた空間が、もうどこにも存在しない。
まるで自分だけが取り残されたような、そんな寂しさを感じた。
だけど同時に、思った。
あの場所で過ごした日々は、確かに自分の中に生きている。
お金も知識もなかった中学時代、無我夢中で手探りで組んだあの一台。
動くかどうかも分からないパーツにかけた想い。
そして、自転車を漕いで何度も通った秋葉原。
もう二度と戻ることはないけれど、あの経験があったからこそ、今の自分がある。
ありがとう、自作PC。
ありがとう、ジャンク通り。
あの時代、あの場所で本当に良かった。
あなたにもそんな場所はありませんか?