将棋ファンには大きく分けて二つのタイプがいます。
「観る将(観る専門のファン)」と「指す将(実際に将棋を指すファン)」
どちらも将棋を愛していることには変わりませんが、SNSやネット掲示板ではしばしば両者の間で言い争いが見られることがあります。
観る将は将棋のことを分かってない
指す将はマウントばかり
といったような批判的な声が飛び交い、まるで将棋界の“内輪揉め”のようになってしまうことも……。
この記事では、なぜ観る将と指す将の間に摩擦が起きるのか、その背景を探ってみたいと思います。
まず前提として、将棋はさまざまな楽しみ方ができる懐の深いコンテンツです。
• 推し棋士の応援や人間ドラマへの共感
• タイトル戦の雰囲気、対局室、料理なども含めた「文化」としての将棋
• 解説感想戦を楽しむ、 SNSでの実況や盛り上がり
• 定跡の研究や棋力アップへの努力
• 実戦を通じた読み合いや勝負の快感
• 詰将棋や形勢判断など理詰めの分析、自分の対局を通じて得られる達成感
どちらも間違っていないし、それぞれの魅力があります。
では、なぜ観る将と指す将の間に対立が起きてしまうのでしょうか。
主な原因は次の通りです。
お互いに「これこそが将棋の醍醐味だ!」という確固たる価値観を持っているため、
相手の楽しみ方を理解しづらいのです。
• 観る将:「観るだけでも将棋の世界に浸れる」
このズレが、議論や誤解を生みます。
• 指す将が「その手は悪手だよ」などと分析を披露すると、観る将は「知識マウントを取られた」と感じることがあります。
• 一方で、観る将の「○○棋士かわいい」「将棋は分からないけど最高」などの発言に、指す将がイラっとすることも。
要するに、“楽しみ方の違い”が“優劣の差”と誤解されるのが争いの元なのです。
過去にはあるプロ棋士が「観る将の方にも、ぜひ指してみてほしい」と発言してプチ炎上したことがありました。
本人に悪気はなかったはずで、「指すと観戦がもっと楽しくなる」という善意の気持ちだったと思います。
しかし、受け取る側からすると「観るだけじゃ不十分なの?」という排他性を感じてしまうことも。
この出来事は、「将棋ファンの多様性」と「発言の配慮」がいかに大事かを示す一例です。
ここまで書いておいて何ですが、実際には「観る将 vs 指す将」が常に仲が悪いわけではありません。
むしろ、多くのファンは両方の要素を持ち合わせています。
• 難しい解説は分からないけど、実戦で「この手、あのプロが指してたな」と真似してみる
こうした「いいとこ取り」のスタイルこそ、現代の将棋ファンの主流かもしれません。
一部のネット界隈の大きな声が、お互いの対立関係を煽っているのかもしれませんね。
観る将と指す将は、違う方法で将棋を楽しんでいるだけ。
そこに優劣はなく、どちらも将棋文化を支えている大切な存在です。
争う必要なんて、きっとないんです。
将棋は一手の妙だけじゃなく、楽しみ方にも多様な“好手”がある。
それぞれのスタイルを尊重して、これからも将棋を楽しんでいきましょう!