1997年にLeafから発売された恋愛アドベンチャーゲーム『To Heart』
この作品がリメイクされるとのことで、唐突にこの記事を書いてみたくなった。
ToHeartは、メイド型ロボット「マルチ」が人気キャラであり、シナリオにも心を打たれ、涙した人は多い。
かく言う僕もその一人だ。当時はまだ中学生。
ノベルゲームという存在を知った初期にプレイしたギャルゲーで、思いっきり号泣してしまった。
その体験は、今でも忘れられない。
そしてこの作品との出会いには、もう一つ、今では笑い話のような、
でも少しだけ胸が締め付けられるエピソードがある。
物語は、『To Heart』の前作にあたる『雫』『痕』から始まる。
僕が中学生の頃、家にあった父のパソコンに何気なく入っていたのが『雫』と『痕』だった。
何の気なしに起動してみたら、そこには衝撃的な展開と、狂気と電波、鬼と伝奇に満ちた世界が広がっていた。
僕はこの世界に夢中になり、寝るのも忘れてゲームの物語に没頭した。
「これって父さんが入れたの?」と聞いたとき、父は少し目をそらしながら「知らないなあ」と言った。
そのときは何故か素直に信じたけど、今になって思えば、あんなものが“勝手に”インストールされているはずがない。
きっと、小説好きだった父も遊んでいたのだろう。
そしてたぶん、真剣に楽しんでいた。
父と同じ天国に行くときが来たら、まず最初に問い詰めたいのはこのことだ。
そんな『雫』『痕』をプレイした流れで、当然のように『To Heart』もプレイした。
Leafの新作だし、また人がバタバタ死んだり狂ったりするんだろうな、と覚悟していた。
だが、画面に映ったのは明るい学園、穏やかな日常、可愛らしい女の子たち。
前作の二つをプレイしていた僕にとっては肩透かしだった。
特に印象に残ったのが、メイドロボ・マルチのルート。
彼女は健気で、どこか抜けていて、でもひたむきに頑張る存在だった。
撫で肩に可愛らしい笑顔、主人公に撫でられて照れる姿が記憶に残る。
今にして思えば、どこにでもいるような“尽くす系ヒロイン”かもしれない。
でも、あのときの僕には違って見えた。
マルチは、心がないはずのロボットなのに、人間よりも人間らしい感情を見せた。
日々のささいな出来事に喜び、主人公と親しくなり、そして成長していく。
その姿を見守るうちに、いつしか思いっきり感情移入してしまっていた。
そして訪れる、別れ。
「さよなら」があると知っていながら、それでも心の準備はできていなかった。
静かに画面の中から去っていくマルチの姿、そして再開、気づけば涙が止まらなくなっていた。
中学生の僕は、初めて“ゲームで泣く”という経験をした。
今思えば、あのシナリオはそんなに劇的なストーリーではない。
でも、当時の僕にはとてつもなく新鮮だった。
恋愛ゲームといえば「誰とくっつくか」を楽しむものだと思っていた中で、「別れを通じて泣かせる」作品に出会った衝撃は大きかった。
キャラに感情移入させて落とす、新鮮な衝撃が当時のゲーマーの涙腺を破壊したんだと思う。
今でこそ「泣きゲー」というジャンルは確立されている。
Keyの『Kanon』や『AIR』のような名作もたくさんある。
田中ロミオの『家族計画』は、いまだにオムライスを見るたびに思い出す。
でも、マルチのシナリオには、その泣きゲーの萌芽が確かにあったと思う。
ロボットが主人公と知り合い、最後に別れを選ぶ。
ベタかもしれない。
でも当時のギャルゲー黎明期に、それを真正面から描いたことには、大きな意味があったはずだ。
もし今の自分があのマルチのシナリオをプレイしたら、同じように泣けるだろうか。
多分、泣かない。
でも、それでいいと思う。
あの頃の自分、あの時代の空気、そして父のパソコンに偶然入っていたギャルゲーたち。
すべてが合わさって、あの一度きりの涙を生んだのだと思う。
思えば、父とはゲームどころか、普通の話すらほとんどしたことがなかった。
でも、もしかしたらどこかで、同じ作品を同じように楽しんでいたのかもしれない。
そう考えると、あの「知らないなあ」という言葉にも、どこか温かみが感じられる。
もし天国で父に会えたら、きっとこう言うだろう。
「父さんは柏木四姉妹の中で誰が好きだった?」
そして、ちょっと真剣に考えた後に、こう答えるかもしれない。
「初音かな…」って